第四章:ND-18 誰の目も気にする必要はない

偽できない理論

これはチェンジ理論の記事です

より番号が若い記事の続きとなります。分からない方はこちらをお読み下さい。

偽できない理論(ND)目次

2019年1月2日

第四章:ND-17 勇気を補給できる場所はどこ?

2019年1月19日

127.他人を罰する道具に誤用されやすい

偽できない理論を理解すれば、判断や行動は自然と変わっていく。恐怖を感じる対象が変われば、辺縁系も大人しくなるだろう。子どもや部下、患者を指導する際のパフォーマンスも上がるはずだ。経験則に左右されないため、論理的な理解さえあれば、誰にでも再現できる。ただし、欠点がないわけではない。切れ味が鋭い分、使い方を間違えれば、人間関係のトラブルを招きやすい。それは、本理論が他人を罰する道具として誤用されたときに表面化する。人は自分に守れるルールしか理解しようとしない。そして、とにかく自分を除外しがちだ。他人のふりを正す前に、自分のふりを正せる勇気を持って欲しい。少なくとも、課題の取りこぼしがあるのを自覚できることが最低ラインである。

128.偽できないの可能性を疑えないのは危険

例えば、部下のミスを指摘する場面を想像してみて欲しい。ミスに対する謝罪と、今後は気をつける意思を引き出せれば、ことは終わる。それ以上、過去のミスを蒸し返したり、叱責を加えても、好ましいことは何も起きない。いくら部下であっても、その行動をすべて支配できるわけではない。今後の働き振りは部下本人の課題であり、上司の課題ではないのだ。それを承知で、部下の振る舞いが気になるのはどうしてだろうか。その場合、自分自身の偽できないを疑った方がよい。例えば、こう思っているかも知れない。部下が無能なせいでげんなりする、管理などできない。問題は、本人にとってそれが真実としか思えないことにある。フィクションの可能性を疑うことができないのは危険だ。

129.他人を罰するのが嫌いな人はいない

他人を罰するとき、気持ち良さを感じたことはないだろうか。前述した通り、集団を維持できるかどうかは相互の監視に掛かっている。法や規則を逸脱した者は排除しなくてはならない。人の社会は分業制であり、一人の逸脱行為が、集団全体を崩壊させることもある。非協力的な他人を追い出せなかった集団は、すぐに滅んでしまっただろう。そのため、現代人には他罰的な傾向が遺伝されている。悪口や噂話に花が咲くのは、それが逸脱者を炙り出す大事な儀式だからだ。嬉々として他人を罰する人もいる。批判や糾弾の本質は娯楽のニュアンスに近い。他人の悪事は課題を延期している人の大好物である。教育者や指導者も一人の人間だ。それに陥るリスクがないわけではない。むしろ仕事の性質上、リスクは高いかもしれない。都合よく自分を例外視しないよう十分に注意して欲しい。

130.他人の意見が必要というわけではない

今度は、他人から意見をもらう場合について考えてみよう。どんな物事でも最初のアウトプットは高確率で失敗する。なぜうまく行かないのか。周囲の他人はすぐに教えてくれるだろう。なかには嫌悪や見下しの言葉があるかもしれない。FB制御を成立させるのに必要なのは、結果と現状の誤差である。何も他人の意見が必要というわけではない。例えば、起業するための事業計画書を書いたとする。設定目標は、銀行の融資を取り付けること。その場合、融資の是非に関する銀行の判断が結果である。配偶者や友人の感想は結果ではない。それは例えば、エアコンが隣室の温度を元に誤差を求めるようなものだ。しかし例えば、友人が銀行員ならば、それは有益な情報と言える。フィードバックとダメ出しは違う。アウトプットに還元するべき情報かどうか選別することは必要だろう。それが自分の課題から逃げている人の言葉なら、単にTKKにされているだけということもありえる。

131.自分の課題に他人を踏み込ませない

以上のことから分かるのは、他人の意見というのは二つに分類できるということだ。一方は有益な情報であり、他方は無益な情報である。他人から意見された場合、冷静にどちらであるかを見極めればよい。それが設定目標に関するもので、次のアウトプットに貢献する情報なら耳を傾けるべきである。そうでなければ、耳を貸してあげる必要はない。無益な情報とは、その相手が課題から逃避するためにこしらえたフィクションである。内的要因に集中している人は、他人の課題にあまり興味を示さない。少なくとも、批判に時間を割くようなことはない。以下、二つの原則を覚えておいて欲しい。他人の課題に踏み込まないこと。そして、他人を課題に踏み込ませないこと、だ。たいていの人は他人の課題に土足で踏み込みたがる。それはアクティベーターの役割ではない。無用なお節介を慎むことも、教育者の仕事の範疇である。

132.外的要因に動じない精神を鍛えよう

偽できないの原因にするついでに、他人の課題に踏み込む人は少なくない。だからと言って、その行為が愚かだということでもない。それは通過儀礼のようなものだ。自分の課題から逃避し、他罰的に振る舞う時期もプロセスの一つに過ぎない。それを有益な失敗にするか、無益な失敗にするか、判断するのは当人の課題だ。人は皆、同じスポーツに取り組む仲間である。仲間の失敗を理由に、自分の課題から目を逸らしてはならない。結果がどう転ぼうとも、それに対する反応だけはコントロールできる。ものごとに動じない精神力を養いたければ、内的要因を見続けるトレーニングを積むと良いだろう。

133.ファイティングポーズを取り続ける

いつでも完全な自分である必要はない。それを目指せば、心身は緊張してしまう。個人的な判断を却下できず、課題に向き合えない時間があっても構わない。何よりも優先するべきは、それらの失敗に自覚を及ばせることである。向き合うというのは、課題と対峙する姿勢のことを言う。ボクシングで例えれば、ファイティングポーズを取り続けるようなものだ。相手に勝てと言っているのではない。勝ちというのは、向き合う姿勢を崩さなかった結果である。このことは勉強や仕事、社会復帰も変わらない。良い成績を取ったり、ノルマを達成したり、障害を克服したり。それができるに越したことはないだろう。だからと言って結果に固執する必要はない。中間要因に意識が奪われた途端、弱気になり、向き合う姿勢が崩れるはずだ。以上のことは、偽できない理論の実践においても同じと捉えて欲しい。完璧に使いこなすことが大事なのではない。たとえできなくても、それに向かい続けることの方が、はるかに重要である。

第四章:ND-19 マイナスがあるから人生は楽しい

2019年1月21日

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