第四章:ND-17 勇気を補給できる場所はどこ?

偽できない理論

これはチェンジ理論の記事です

より番号が若い記事の続きとなります。分からない方はこちらをお読み下さい。

偽できない理論(ND)目次

2019年1月2日

第三章:ND-16 なぜ現代人は怒りっぽいのか?

2019年1月18日

117.ガソリンがなければ車は動かない

前章では、基本的恐怖心と判断の駆動を切り離すための方法を説明した。まずは失敗の本質を理解し、次に目標設定を内的要因エリアに移動させる。さらに外的要因に対する期待値を下げてしまえば、基本的恐怖心そのものも小さくできる。嫌われる、見下される、軽視される恐怖に判断を支配されることも減るだろう。偽できないを成立させるため、批判的になる必要もない。他人を罰するのに費やしてきたエネルギーを、自分を突き動かすエネルギーに変換できるわけだ。自動車で例えれば、バックからドライブへと、ギアを入れ替えることを覚えたと言っても良い。しかし、いくらアクセルを踏み込んでもタイヤがうまく動かない場合がある。ガス欠だ。これまでの内容を十分に理解しても、行動や挑戦に踏み切れないことがあるだろう。だとしたら、ガス欠の可能性を疑った方がよい。

118.三つの勇気は人らしく生きる原動力

人の精神活動におけるガソリンは勇気だ。具体的には、不完全である勇気、ミスをする勇気、誤りを認める勇気、これらがあって初めて社会的な行動や挑戦が達成される。自転車の補助輪を外すのも親友をつくるのも、結婚に踏み切る×のも事業を拡大するのも、どれも変わらない。基本的恐怖心は生理反応の一種であり、完全に逃れることはできない。例えば、お腹が空いたりするのと同じようなものだ。空腹感という反応そのものは止められない。しかし、どんなに空腹が襲ってこようとも、断食はできる。同様に、どんなに恐ろしくても判断や行動を選択することは可能だ。ただし、いっさいの資源を消費せず、恐怖心の支配を振り切ることはできない。その原動力になるのが三つの勇気である。

119.挑戦は不完全さを認めることから始まる

三つの勇気は、基本的恐怖心を打ち消す対抗勢力と考えて欲しい。不完全である勇気から見ていこう。何においても完全な人などいない。しかし人は完全であろうとする。その他大勢とは違う特別な存在と思いだがるし、どこにでもいる普通の人であることを認められない。これはつまり、間接的な見下しである。実際は、程度の差があるだけで、誰しもが不完全な存在だ。それを受け入れない限り、前進は望めない。例えば、スタートアップでつまづく起業家は、たいてい不完全である勇気が不足している。最初から高品質な商品などありえない。たとえ不完全でも、顧客の声を聞き、改善すれば良いのだ。それには試作品を表に出す必要がある。完全な商品ができるまでリリースしない。だとしたらそれが世に出ることは永遠にないだろう。背伸びをする必要はない。どんな分野の挑戦も不完全な自分をさらすことからスタートする。

120.ミスをする勇気=最悪を想定する勇気

次に、ミスをする勇気を見ていこう。これは、失敗のリスクを事前に受け入れることを意味する。失敗を容認するという意味ではない。失敗が許されない状況もあるはずだ。例えば、どんなに未熟でも外科医が手術で失敗して良いはずがない。しかし、パフォーマンスを高めたいなら、失敗のリスクを受け入れる必要がある。誰のせいにもせず、起きた結果の責任を引き受ける覚悟を事前に決めておくのだ。最悪の結果を受け入れた上で挑戦し、どんなことが起きても、その結果が最善である、と。そうすれば、課題に対する集中力が最大化されるだろう。頭が回る人ほど失敗を避けたがる。その可能性が高いことが分かるからだ。彼らは、よくこう言う。失敗は目に見えているのに挑戦するなんて無謀だ、と。その地図の描き方そのものが、失敗の確率を高めていることは言うまでもない。

121.誤りを改める=センサーになり切ること

最後に、誤りを認める勇気を見ていこう。ただアウトプットするだけではFB制御は完結しない。それはセンサーの壊れたエアコンで温度設定するようなものだ。たとえ限界までパフォーマンスを高めても、好ましい結果が保証されるわけではない。想定外の外的要因が目標達成を邪魔することもあるだろう。その結果に憂慮したのなら、意識が内的要因から外れたことに気づく必要がある。中間要因である結果は、期待を寄せるためにあるのではない。それは自分の課題でないことをハッキリ認識できる目を養って欲しい。結果を前にしてすることは、目標との誤差を導くこと、誤差を次のアウトプットに還元すること、である。冷静さを欠いたなら、エアコンのセンサーを見習えば良いだろう。

122.失敗を改める過程は必要悪である

正解を強制することは、教育や指導とは違う。その効果は、表面的で短期的なものになるだろう。なぜなら失敗を改める機会を奪うからだ。正しい判断を押し付けることは、間接的に子どもや生徒、部下の成長を停滞させてしまう。彼らには失敗を改める権利があるし、教育者にはそのプロセスを見届ける責任がある。黙って失敗を見守るのは簡単ではないだろう。それが大事な相手なら、なおのことだ。その場合、失敗を改める過程を必要悪と考えてみて欲しい。例えば、幼少期におたふく風邪に罹ることは好ましいことではない。しかしそれがなければ、大人になってより高い熱にうなされるリスクを負う。幼少期の罹患は、より高いリスクを回避するための必要悪である。若いうちの失敗も同様だ。年齢を重ねてから失敗の練習をするのはつらい。教育する相手が大事な存在なら、なお失敗を改める機会を奪ってはならない。それを承知の上で過度に手を出すなら、それは明らかに自分のためだ。大事な相手が悲しむのは心地よいものではない。それを見たくない、という個人的な判断があることを自覚して、教育者自身の課題を解決することが先決と言えるだろう。

123.スポーツは人生の縮図として役に立つ

人生の選択について考える場合、スポーツ選手の心境が参考になる。例えば、ゴルフでホールインワンチャレンジをする場面を想像してみて欲しい。もちろん一打目で入る確率はとても低い。たいていは失敗に終わる。それを分かって打つのは勇気がいることだろう。一打目でカップインする力量がないことを恥じる必要などあるだろうか。それを認めるのが不完全である勇気だ。まずは打たなければ始まらない。失敗の可能性を受け入れた上で挑戦するのが、ミスをする勇気である。一打目のミスは二打目を打つ際の参考になるだろう。二打目も失敗したら、その情報を三打目の力加減に還元すれば良い。失敗を観察し、FB制御し続けるのが誤りを認める勇気である。もし人が機械なら、最短でカップインできるだろう。焦りや諦め、緊張がなければ、パフォーマンスは最大化できる。三つの勇気を維持し、基本的恐怖心をコントロールしている選手もそれに近い結果を出すはずだ。スポーツは、人生の縮図として役に立つ。物事を単純化する手段として活用すれば良いだろう。

124.人は成長しなくては生きられない

社会で生きるには様々な責務を果たさなくてはならない。学生なら勉強やスポーツを通じて社会に出る準備をし、社会人になれば仕事で価値を生産する必要がある。家庭を持てば、子どもを育てるという責任が生じる。ステージが変われば、課題の取り組み方を変えざるを得ない。例えば、テストで良い点を取るのと仕事で結果を出すのでは、取り組み方がまるで違う。正解のないものに立ち向かうのは、勇気のいることだ。社会で生きていれば、新しいことに挑戦する機会などいくらでもある。想定外の病気にかかることもあるだろう。古い自分から脱皮し、新しい自分をつくりあげるのは至難の技だ。もちろん、一度のチャレンジでうまくいくことなど期待できない。それでも目を逸らさずに結果を検証し続けることが、生きるというスポーツである。人生とは、そういう競技だと思えば良い。人は全員、人生というスポーツの競技者である。成長した方が良いのではなく、成長しなくては生きられないと言った方が事実に近い。

125.戦意喪失者に三つの勇気を回復させる

もちろん、現状維持でも身体的に死ぬことはない。しかし、精神的な充実感や幸福感が欲しいなら、基本的恐怖心と対峙し続けるしかない。注意するべきなのは、恐怖心全般に見られる特徴である。恐怖心は、目を逸らせば逸らすほど膨れ上がる。例えば、格闘技の試合で戦意を喪失してしまった選手を想像してみて欲しい。背を向けて逃げ回り、対峙する意思が挫かれているだろう。身体的な危険が喚起する恐怖心は強烈だ。一度でも背を向けたなら、向き合うのは難しくなる。もちろん、その特徴は精神的な恐怖心も変わらない。消えた三つの勇気を再燃させるのがアクティベーターの役割である。恐怖心に囚われたままで他人を指導することなどできない。指導者には三つの勇気を維持し、恐怖心をコントロールし続ける責任が課せられる。

126.三つの勇気を補給する場所を確保する

三つの勇気をガソリンに例えたのは、いくつか共通点があるからだ。まずは消耗すること、そして外部から補給する必要があること、だ。残念ながら、勇気は減っていく。定期的に補給しなくてはならない。人が勇気を補給できるのは唯一、他人からである。集団に所属し、得意分野を確立し、他人の注目を得る。それによって得られる連帯感や優越感、安心感が、三つの勇気の原材料となる。つまり、恐怖心も勇気も、同じ他人の目から生じるということた。もちろん、タダで手に入れることはできない。ガソリンに代金を支払うのと同様、勇気を得るのにも対価がいる。簡潔に言えば、他人と協力することが対価である。そのため、他人や集団に協力的でない人は、いかに有能でも才能を発揮できなくなる。孤独感、劣等感、無力感に苛むことになるだろう。ガソリンがなければ、いつかガス欠を起こす。そうなれば、ガソリンスタンドに行くことさえできない。同じように、勇気がなければ、いずれ行動は止まり、他人と協力するという補給行為もできなくなる。前進も後退もできない袋小路、それが精神疾患の状態だ。精神的な危機を避けるには、日頃から十分に他人と信頼関係を築いておく必要があるだろう。

第四章:ND-18 誰の目も気にする必要はない

2019年1月20日

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