第三章:ND-13 有機体・概念+他動詞表現=?

偽できない理論

これはチェンジ理論の記事です

より番号が若い記事の続きとなります。分からない方はこちらをお読み下さい。

偽できない理論(ND)目次

2019年1月2日

第三章:ND-12 コントローラーがつながっていない

2019年1月14日

089.言葉遣いから不健全さは読み取れる

これまでの説明で、いくらか失敗という概念のイメージが変わっただろう。では、恐怖心と判断の接続を切り離す方法の二つ目を説明する。今回は、目標設定の表現を変えること、だ。前述した通り、他人や環境などの外的要因はコントロールできない。イライラや緊張、恐怖心が増す以外、得られるものはないだろう。残念ながら、どのぐらい外的要因に意識を奪われているか、測定する客観的な指標はない。しかし、その度合いを大まかに判断できる間接的な指標ならある。それが言葉遣いだ。人は自覚なく、遣う言葉を選んでいる。何気なく遣っている言葉から、本音を読み解くのはそれほど難しいことではない。今回、目を向けるのは動詞、だ。

090.無機物を動かすのは難しくない

例えば、就職を決めるという目標設定は不適切である。それを決めるのは採用担当者だ。つまり、コントロールすることはできない。緊張や恐怖心が増すのは当然だろう。注目すべきは、目的語が必要な他動詞を使っている点だ。目的語とは動作を加える、コントロールを試みる対象と言い換えても良い。つまり、目的語を使っている時点で、無意識に何かを動かそうとしていることが分かる。だからと言って、他動詞の使用が悪いわけではない。例えば、ラーメンを食べる、という表現は適切である。なぜなら対象が動かせるものだからだ。他にも窓を開けたり、石ころを蹴飛ばしたり。無機物を目的語に据える場合は難なくそれを達成できるだろう。

091.有機体や概念は目的語に適さない

対象が無機物以外の場合、そう簡単にいかなくなる。例えば、生徒、部下、配偶者、ペットなどの有機体はどうだろうか。これらをコントロールすることはできない。石ころをどうこうするのとはわけが違う。では、信頼、事業、愛情のような抽象概念は動かせるだろうか。これらはモノではなく、コトである。コトには実体がない。まさに雲を掴むような感覚におちいるはずだ。実体があるかどうかは、手で触れるかどうかを考えれば分かるだろう。実体のない概念を動かそうとする場合、たいてい不毛な結果に終わる。いつまで経っても達成されない目標は、有機体や抽象概念を対象に他動詞表現で語られていることが多い。だとしたら、それを達成できないのは当たり前である。妻や夫を変えるのも、社会や風土を変えるのも適切な目標設定とは言えない。叶わない目標を設定しても、イライラや緊張、恐怖心が増すだけだろう。

092.無謀な目標が達成を邪魔してしまう

例えば、意思を伝えるという目標も一人で達成することはできない。会話する相手の感情や知識はコントロールの外にある。それを忘れて躍起になって伝えた場合、何が起きるだろうか。心身が緊張し、声が上ずるかもしれない。伝わらないことに焦り、無用な説明を被せたくなるだろう。いずれも目標達成に貢献するどころか、むしろそれを邪魔する結果である。冷気を放出して設定温度にならなくても、エアコンが焦ることはありえない。しかし人は焦るし、緊張もする。違いは基本的恐怖心の有無、だ。大事な面接で緊張するのは当然かもしれない。就職を決める、という他動詞の目標があるなら、なおさらである。ならば、よく思われることから、よく思わせることへ、意識がスライドすることも必然だ。支配的な意思はすぐに伝わる。面接官がそれを良く思うことはないだろう。

093.手の届く範囲の目標を積み重ねる

顧客を集める、異性を振り向かせる。社員の意識を変える。いずれの対象もコントロールが及ぶものではない。うまくいかず、イライラするのは目に見えている。有機体や概念に他動詞を付け、大きな目標を掲げるのは悪いことではない。ただし目標と願望を混同してはならない。ただ願うことが望みならそれでも良いだろう。そうでないなら、達成可能な表現に変えるべきだ。これは目標のハードルを下げるという意味とは違う。手の届く範囲の目標を積み重ねるという意味である。たいていの目標には、昇るための階段がない。急な坂を一気に登ろうと、ずっと滑っているようなものだ。登る気があるなら、着実に踏みしめるための階段をつくるのが先決である。手の届く範囲に目標を据えるのは、手の届かないところにある目的を達成するためだ。抽象概念に他動詞をつけて表現するとしたら、それは目的に配置した方が良い。社会を良くする。そう思うのなら、自分の手が届く範囲の目標を立てることを忘れてはならない。

094.ものごとの変化=自動詞表現

ものごとが変化するプロセスを、より厳密に表現すればこうなるだろう。試行錯誤を繰り返した結果、現実が変わる。自分の手で変えるのではない。あくまで結果的に変わるのだ。つまり、目的語が必要ない自動詞表現の方が事実に近いということ。いくつか他動詞を自動詞に置き換えてみよう。例えば、エアコンは室温を変えられない。できるのは、冷気や暖気を放出したり、室温を感知することだけである。その結果として、室温が変わる、のだ。意思疎通で言えば、考えを伝えることはできない。しかし、意見を口にしたり、どのぐらい伝わったか確認することはできる。あくまで、その結果として考えが伝わる。もちろん、結婚を決める、こともできない。しかし、婚活やお見合いに挑戦したり、喧嘩を通じて異性の価値観を理解することはできる。その結果、結婚が決まるのだ。些細な違いだが、パフォーマンスは圧倒的に違う。違いを生んでいるのは、運やツキ、前世の行いではない。本人の無意識的な判断である。

095.どんな結果でも最善のプロセスである

試行錯誤とFB制御の違いは、ネガティブな感情がともなうかとうか、だろう。例えば、一社目の面接で失敗したのなら、それは二社目に挑戦する際のたたき台になる。二社目の失敗も同様だ。いかに不幸な恋愛でも、幸せな結婚生活を送るための練習になるはずた。どんな最悪な出来事も、すべて最善のプロセスにできるし、その采配は本人の手にある。なかなか期待通りの結果が出ないからと言って、エアコンが諦めたりするだろうか。もし人が感情のない自動機械なら、諦めるということなどありえない。人がそうできないのは、基本的恐怖心があるからだ。ここまで理解できたなら、本当に恐れるべき対象が何なのか、分かるだろう。行動しない、その結果を検証しなければ、現実が変化することは絶対にない。そればかりかイライラや緊張、恐怖心に襲われる日々を送ることになる。自分にできる行動をし、失敗を経て、それを検証することが、一番安全な生き方なのだ。

第三章:ND-14 敵でも味方でもない、第三の選択肢

2019年1月16日

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