第一章: FR-01 人間関係は経済活動の一種である

チェンジ理論コラム

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より番号が若い記事の続きとなります。分からない方はこちらをお読み下さい。

フリーライダー理論(FR)目次

2019年3月17日

001.メンタルヘルスは経済活動の結果

人間関係は経済活動の一種である。そう言ってもピンと来る人は少ないだろう。フリーライダー理論では、人間関係による健全さ、不健全さを経済活動の結果とみなす。もちろん、この場合の経済活動とは、お金やモノのやり取りだけのことではない。例えば、笑顔や気遣い、信頼、愛情、他人を助けることも立派な価値だ。私たちは、日々それらをあげたりもらったり、ときには奪い合ったりしている。人間関係や生きることそのものを経済活動だと捉えれば、それらをうまくやる方法も見えてくるだろう。まずは市場や貨幣の歴史を振り返ることで、経済活動の本質をつかむことが本章の目的である。

002.経済活動とは価値を交換すること

現代社会で生きるのに経済活動は欠かせない。例えば、仕事をして金銭を稼いだり、それを使ってものを買ったり。様々な価値を流通させているはずだ。持っている資源を使い、持っていない物資を手に入れる。つまり、経済活動というのは価値を交換することである。例えば、アルバイトというのは、時間という資源を金銭と交換する活動だ。レストランで食事をすれば、代価を差し出さなくてはならない。それを踏み倒すことは、倫理的にも法的にも逸脱行為とみなされる。規則やルールを逸脱した者がどうなるかを覚えているだろうか。価値交換の逸脱者は、所属集団から追い出されることになる。

003.代価の踏み倒しは罪悪感をもたらす

集団からの追い出しが意味するのは、間接的な死だ。人という生物が単独で生き延びられた歴史は一度もない。一人で生きられているかのように感じるのは、現代が度を超えて便利なためだ。表面上、他人と関係せず生きられるようになったのは、人類史上つい最近のことである。人の身体構造は、そのはるか昔から変わっていない。感情が起きる仕組みも同様だ。価値交換でズルをした場合、大脳辺縁系は警告を鳴らすだろう。代価の踏み倒しがもたらすのは、罪悪感である。良心の呵責や後ろめたさは苦しいものだろう。ズルをしたことは誰にもバレていないかもしれない。しかし、自分はその事実を知っている。法的な罰を逃れても、身体の内側で生まれる感情から逃れることはまず不可能だ。

004.見えない価値の泥棒にも罰がある

以上のことは窃盗や万引きなど物質的な価値の不正に限ったことではない。例えば、会話というのは話す人と聞く人がいて初めて成立する。しかし、相手の話は聞かないのに自分ばかり話したがる人はいるものだ。気分よく話した後、会話泥棒は漠然とした不快さを感じるだろう。相手の意見にも耳を傾けるという支払いを踏み倒しているのだ。自覚がない分、窃盗犯よりも厄介である。その不快感を埋めるため、また会話を盗んでしまうかもしれない。食い逃げの犯人が店を出入り禁止になるのと同様に、会話泥棒の常習者が会話の場から締め出されるのは時間の問題だ。その不快感が罪悪感であることを自覚し、代価を支払うことを覚えない限り、集団から孤立することは避けられないだろう。

005.孤独感や罪悪感は病気なのだろうか?

会話泥棒は、いずれ集団から排除される。物理的に追い出されるわけではない。配偶者や同僚、友人から嫌われたり、無視されたり。つまり、協力関係から外されるのだ。中には診断名がつく人がいるかもしれない。しかし、孤独感や罪悪感というのは病気だろうか。それは例えば、糖尿病と同じように、治療の対象なのだろうか。正常でないことは確かである。踏み倒しという異常が薬で治るなら、それに越したことはない。しかし、薬物だけで回復させるのは難しいだろう。もし回復したのなら、何らかの教育や指導が施されたはずだ。糖尿病の患者に生活習慣の改善を指導するのと同じことである。治療を施す対象であるにしても、その場を医療機関に限定することは賢明ではない。食事や運動の習慣を改善するように、対人関係や価値交換の習慣を改善する必要があるのは明らかだ。

006.もらった分を返すのが社会のルール

会話泥棒というのは、あくまでも一例に過ぎない。例えば、職場で各部署が仕事を分担するのも、税金を支払って社会インフラの恩恵を受けるのも、夫婦が子育てや家事で助け合うのも、どれも価値を交換しているという点は同じである。価値交換の原則は、公平な取引に協力すること、だ。受け取った価値に相当する代価を支払う。それが暗黙のルールである。例えば、手紙やお祝いを返さなかったり、仲直りしたのに自分だけ謝らなかったり、会社や学校をズル休みしたり。もらったのに返さないことは、食い逃げ行為と変わらない。たとえ法的な罰則がなくても、内部的な罰を受けるだろう。彼らが精神的に穏やかでないことは簡単に予想がつく。なにやら得体の知れない不快感があるはずだ。

007.価値を得るには交換するしかない

人の活動を二つに分けて考えてみて欲しい。一つは生産、もう一つが消費である。身体の内側から外側に向けて価値を放出するのが生産、他人や環境から価値を内側に取り入れるのが消費だ。例えば、仕事の会議に出たり、家事を片付けたり、試験勉強するのは生産に当たる。反対に、家電製品を買い換えるとか、電車やバスを利用するのは消費に当たるだろう。毎日、膨大な種類の価値が身体を出入りしているはずだ。形があるものばかりではない。例えば、私たちはこの瞬間にも時間という価値を消費しているし、二酸化炭素を生産する代わりに酸素という価値を消費している。他にも信頼感というのも立派な価値だ。なぜならそれがなければ、精神的に健康でいるのは難しい。では、どうすれば信頼感が手に入るのだろうか。信頼感を消費したければ、先に信頼感を差し出さなくてはならない。つまり、タダで得ることはできないのだ。人生の難しさは、必要な価値を他人との交換によって入手しなくてはならない点にある。

008.不健全=価値交換のバランスが悪い

例えば、人の活動すべてを生産と消費のいずれかに分類し、両者のバランスを可視化できる機械があるとしよう。精神的に健康な人は、おそらく生産と消費が等しくなるか、少し生産が多いぐらいになる。一方、精神的に不健康な人はバランスがあまり良くない。消費が多いか、生産が多いか、どちらかのはずだ。それは例えば、カロリーの摂取量と消費量のバランスが悪い状態と似ているし、赤字を出してばかりの企業とも似ている。どちらも不健康なのは言うまでもない。これらを改善するには、まず何をするべきだろうか。状態を把握するべきだろう。体重や体脂肪率を測定したり、損益計算や貸借のバランスを確認する。体重や収支を改善できるのは、それらが数値化できるものだからだ。現状を客観的に把握できなければ、状態を改善するのは至難の技である。その意味で、生産と消費のバランスを改善するのはかなり難しい。

009.収支バランスの悪さを自覚する目安

残念ながら、生産と消費のバランスを客観的に数値化する機械は、いまだ発明されていない。しかし、状態がどちらにどのぐらい偏っているのか、大まかに判断するぐらいなら難しくはない。例えば、偽できないというのは、とても分かりやすい兆候である。単にしたくないだけのものをできないと言って退けるのは、生産活動を回避しているからだ。それに伴って強まる他罰的な傾向も目安になるだろう。他にも、罪悪感があるとか、他人の目が突き刺さるように痛いというのも消費よりの兆候である。後ろめたいことがなければ、そう感じることはない。さらに、なぜかいつも被害者意識に囚われるというのも分かりやすい目安である。なぜそう言えるのかについては後ほどゆっくり説明しよう。

010.身体の内側だけを見てはいけない

フリーライダー理論は、私たちが日常的に盗みを働いていることを自覚させてくれる。精神的に不健康な人が、なぜ例外なく孤独を感じているのかが分かるはずだ。彼らがつねに被害者側に立っている理由も分かるだろう。反対に、精神的に健康な人が、なぜいつも謙虚でいられるのかも分かる。これらはいずれも価値交換の戦略を実行した結果だ。従来のメンタルヘルスの考え方が、身体の内側だけに目を向けてきたことは致命的な誤りである。人という生物の生態を踏まえれば、それが他人や環境との相互作用の結果であることは明らかだ。人間関係の相互作用は、市場や貨幣などの経済とよく似たルールで動いている。理論を理解する準備として経済や貨幣について共通認識を得ることから始めよう。それらがどのように精神的な健康と関係しているかは本章の後半で明らかにしていく。

第一章:FR-02 “とりあえずツケておいて下さい”

2019年3月17日

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