止まらない精神医療の暴走!劣等感をこじらせた精神医療の恥ずかしい歴史

精神医療が黒すぎる

この社会的妄想はどう生まれたのか?

精神医療への一般認識は誤解が多い。まず精神障害は身体の病気と同じく疾患であると信じられているし、脳変異のような器質的な原因が存在するという誤解もよくある。それに向精神薬を飲めば治ると誤解している人も少なくない。

正確に言えば、精神の疾患というものはない。そもそも疾患というのは、原因と症状の因果関係が明確なものを指して使う概念である。その点、精神的な異常に明確な原因は見当たらない。少なくとも神経科学や遺伝子研究が精神障害の原因を明らかにしたことは一度もない。

実際、精神科や心療内科の診断名はどれも障害か症候群である。どの範囲までを病気とみなすか?それを決めているのは専門家の多数決だ。

そのため診断が緩和されたり、除外されたり、病気と認定される範囲が時代によって変わる。

新たに診断に追加されるのは、たいてい治療薬が見つかった障害である。例えば、ADHDという障害が登場したのは症状を緩和するメチルフェニデートが発売されたのと同時期である。

リタリン(メチルフェニデート)にADHDという病気を治療する力はない。それはあくまで多動性を鎮める、つまり大人しくさせる薬である。

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それと同様に、抗不安薬は不安を消す薬ではなく、筋弛緩をもたらす薬であり、抗うつ薬も同様、単に気分を撹乱する作用を持つ薬である。

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向精神薬に有効な治療効果がないことは長期的な研究が明らかにしている。効果がないだけならまだしも、それらはもとの症状を悪化させ、慢性化や長期化を引き起こす。長期間服用すれば、器質的な脳損傷を引き起こすこともある。

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薬の評価はリスクとベネフィットの対比で決まるが、向精神薬に長期的なベネフィットは何もない。あったのはリスクのみであり、そのことは精神医療の内部の者なら誰でも知っている。

問題は、治療を受ける側の患者が精神障害が明確な原因のある疾患であり、その治療薬に病気を治す効果があると信じていることだろう。

ロバート・ウィタカーの言葉を引用する。

私たちはアメリカでこの50年間に起きた精神病の蔓延を、段階を踏んで調べ、主な障害ごとに転帰研究の文献を見直してきたが、次にすべきことははっきりしている。科学文献では明白に否定されているにも関わらず、なぜ一般社会はこの50年間、薬物療法革命が起きたと信じているのだろうか。言い換えると、この甚だしい社会的妄想はどこから生まれたのだろうか。出典:心の病の流行 ロバート・ウィタカー

反論、対立、分裂、崩れゆく精神医療

1950年代初頭、統合失調症の治療薬、ソラジンやベンゾジアゼピン系抗不安薬、三環系抗うつ薬が登場し、薬物療法が台頭する。しかし、しばらくすると、どの薬も効果性や副作用が問題となり、薬物療法は下火になりつつあった。

精神医療に対する反乱が起きたのはその頃だ。まず先陣を切ったのはトーマス・サズである。

1961年、サズはThe Myth of Mental Illnessで、精神障害は医学の問題ではないこと、それは人生の問題に悩む人、社会的に逸脱した人に貼られたレッテルに過ぎないことを主張する。

雑誌、サイエンスは、サズの主張に対し「非常に勇気のある啓発的な発言」と評価している。この反精神医療運動に、哲学者のミシェル・フーコーも加わったという。「狂気とは抑圧的な社会に対する正気の反応であり、精神医療とは社会的統制である」などの論調が広まった。

1960年代、フロイトが精神分析をアメリカに持ち込み、精神科医以外のセラピストやカウンセラーなどが神経症の患者を奪い合っていた。

タフツ大学の精神科医、デビッド・アドラーは精神科医以外の精神保健の専門家が精神科の領域の一部、あるいは全部を自分たちの領域だとして権利を主張していたとコメントしている。

1970年代、精神医療は大きく三つのグループが対立していた。一つ目は生物学的精神医学、精神障害の原因は脳にあるとみるグループ、二つ目は精神分析学、精神障害の原因は心理的葛藤にあるとみるグループ、三つ目が社会学的精神医学、精神障害の原因は人と環境の相互作用にあるとみるグループである。三者の三つ巴により精神医療は混乱し、危機的状況にあった。

悪夢の薬で精神的殺人を行う精神医療

1950年代、ソラジンやミルタウンは奇跡の薬ともてはやされた。しかし効果性や副作用の問題が露呈し、精神医療の権威は失墜していた。

1970年代、精神科医を目指す医学生はせいぜい1%から4%だったという。精神医学の不人気についてニューヨーク・タイムズは「精神医学の不安な歳月」という記事で、「ことさら痛烈な告発のように思える」とコメントしている。

なお医学生が精神科医を目指さない理由は「精神科治療は効果か薄いから」だと報じている。

もしソラジンやミルタウンなど向精神薬が本当の意味で奇跡の薬ならば、生物学的精神医学が失墜することはなかっただろう。実際、特に神経遮断薬は患者に不人気であり、錠剤を舌の裏に隠して服用を免れる患者も多くいたという。

1960年代、スミスクラインフレンチは、患者が確実に薬を飲むよう液体タイプや注射タイプの神経遮断薬を開発している。液体ソラジンの広告にこう書いてある。注意、精神病患者は巧みに薬から逃れようとします。こういった強制治療に反対する患者団体も多くあったという。

当時、ソビエト連邦が反体制派への拷問の際、神経遮断薬を用いていたという報道があった。ニューヨークタイムズは、神経遮断薬の強制投与について「精神的殺人」と表現している。

同時期、抗不安薬ベンゾジアゼピンがスケジュールⅣ薬物に指定、エドワード・ケネディ上院議員はベンゾジアゼピンの被害について「依存と中毒の悪夢を生んだ」とコメントしている。

奇跡の薬はわずか20年で悪夢の薬となった。

追い詰められた精神医療、反撃を開始

1970年代、精神医療は崩壊しつつあった。しかし、汚名を晴らす動きも起こりつつあった。

ケンタッキー大学の精神科医、アーノルド・ルドウィグは自身の論文で「生物学的医学モデルは精神科医の第一のアイデンティティが医師であることを土台にしている」と述べている。

ワシントン大学のサムエル・グースは「精神科医は病気の症状や兆候の分類に基づき適切な診断をすることに注力すべきだ」と述べている。

さらにグースは「今日、精神病患者にとって最も有効な治療、積極的な投薬と電気ショック療法を最適な形で施すのに必要な医学的訓練を受けているのは精神科医だけだ」と述べている。

タフツ大学のデビッド・アドラーは自身の論文で「一般人の頭の中で科学的真理と最も強く結びつくのは医学モデルである」と述べている。

彼らのアイデンティティは医師であること、つまり、内科医のように体温や血圧、血糖値など生物学的な指標を使って病気を特定し、それに適応する薬を処方することを意味していた。

精神的な不調が病気であり、それは薬を飲めば治るという前提は、彼らが医師というアイデンティティに固執した結果であり、それは精神的な不調を解消するという目的とあまり関係のない、コンプレックスから生じたものであった。

反撃の狼煙、根拠ない診断マニュアル

1980年、アメリカ精神医学会は精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)の第三版を発行、それまで統計調査ようだったDSMを診断マニュアルとして使用するようになる。DSMについて、ロバート・スピッツァーは「精神科的問題に応用した医学モデルの砦」と述べている。

アメリカ精神医学会の会長、ジャック・ウェインも、DSMは「私たちが精神医学の一分野とみなすことを疑問視するすべての人に対して、明快な答えを与えるだろう」と述べている。

ジェラルド・クラーマンは「DSMの作成はアメリカ精神医学の歴史における決定的な転換点であり、これを使用することによってアメリカの精神医学の医学的アイデンティティと科学的医療への関与を再確認できる」と述べている。

コロンビア大学の精神科医、ジェラルド・マックスメンは、DSMによって「科学的精神医学の優位が正式に承認された。旧来の精神分析的精神医学は理論から生まれたものだが、新しい精神医学は事実から生まれる」と述べている。

生物学的精神医学に科学的な根拠はない。環境要因や臨床経過、長期的転帰、家族歴、治療反応なとはすべて無視し、確認可能な症状を統計学的に分類したものである。例えば、うつ病の範囲に収まる状態について、なぜそれがうつ病と言えるのか?と問われた場合、DSMは、なぜなら我々がそう決めたからと答えるだろう。

アメリカ心理学協会の会長、セオドア・ブラウは、DSM第三版について「科学的根拠のある分類システムというより、アメリカ精神医学会の政策方針書に近い」とコメントしている。

内実はどうあれ、彼らは本物の医師のように振る舞うことを決めた。DSMが科学的根拠のない方針書であることを内部の者は知っているが、外部の一般人は知らない。DSMで診断された病名が本物の疾患であると信じるだろう。

精神医療の聖書、DSMの鮮烈なる一撃

DSMは精神医療界の聖書となった。実際、その影響力は絶大であり、1980年代以降、フロイトの精神分析的アプローチは衰退していく。

American Journal of Psychiatryは「ただ支持を獲得するためだけではなく患者と威信を手中に収めようとする多くの精神保健の専門家たちに対し、精神科医の地位を強化するために一つの声になろうではないか」と書いている。

1981年、精神科医ベン・バーステンは「医学モデルとDSMは結束を固め、攻撃を組み、敵を一掃するために使用された」と述べている。

1981年、アメリカ精神医学会は「精神科医の医学的アイデンティティを深める」ため、広報マーケティング部を設置している。副会長のポール・フィンクは、私たちの任務は「精神科医の収益力を守ることである」と述べている。

DSMの登場は生物学的精神医学に復権をもたらした。彼らは元々、医学会のはみ出し者である。それが一時、薬物療法で脚光を浴びたことはコンプレックス解消に対する渇望に火をつけたのかもしれない。結果、精神医療の目的は、利潤を追求することにすり替わってしまった。

ソテリア・プロジェクトが消えた理由

DSMの威厳は、精神分析ともう一つ、強大な敵を滅ぼした。精神障害の原因は人と社会の相互作用にあるとする社会学的精神医学、その筆頭者であるローレン・モッシャーを米国立精神衛生研究所から追い出すことに成功している。

1971年、ローレン・モッシャーはソテリアプロジェクトを開始する。統合失調症の患者を普通の家庭で治療し、投薬も行わない。社会との関係を生活を通してゆっくり醸成することが目的であり、現代もヨーロッパを中心にソテリアハウスという名称でひっそり運営されている。

ソテリア・プロジェクトが始まった当初、ローレン・モッシャーはNIMH、統合失調症研究センターの所長だった。モッシャーは運営資金を五年間で70万ドルと見積もったが、実際に降りた助成金の額は二年間で15万ドルだった。

1970年代後半、ソテリア・プロジェクトの結果が芳しいことが分かると、助成金委員会は研究デザインに欠陥があると指摘、ソテリアの患者の転帰がよいことの証拠は説得力がない、と責任者から退任させる意見があがったという。

その後、助成金委員会はソテリアプロジェクトへの援助を打ち切り、NIMHはモッシャーを解任している。モッシャーは「よい結果が出たということは、科学者としての私に偽りがあるのだと言いたかったのでしょう」と述べている。

彼らも医師である。患者がよくなることを歓迎しないはずがない。しかし、生物学的医学や薬物療法を守ること、精神科医の収益力を守ることのほうがはるかに重要だったということだ。

狡猾な精神障害の啓発マーケティング

この頃、精神医療の倫理観はすでに崩壊していた。彼らはDSMという強大な後ろ盾を背に、精神障害と治療法についての啓発を開始する。その露骨なマーケティング活動は、まるで企業が競合他社からシェアを奪うかのようだった。

1980年、アメリカ精神医学会は精神医学の新しい進展という題名で記者会見を開催、あなたのメンタルヘルス”Your Menthal Health”という2時間番組のスポンサーとなっている。

1983年、アメリカ精神医学会は「広報部門の協力と訴えが実り、USニュース&ワールド・レポートでうつ病特集が組まれ、著名な精神科医の発言が多数引用された」と報告している。

1984年、アメリカ精神医学会は精神医学に関する正しい知識を一般人に広めるため、独自の出版部門を立ち上げる。出版事業についてメルヴィン・サブシンは、「精神医学についての積極的な啓蒙教育になる」とコメントしている。

アメリカ精神医学会は、メディア対応を平準化するため、広報研究所を設立している。1985年、テレビのインタビューを乗り切る方法というテーマのセミナーが9回、実施されている。

報道陣への対応の責任者として各地区で広報代表者を選出、サブシンは「あらゆるタイプのメディアに効果的に対応する訓練を受けた、経験豊かなリーダーが各地にいる」と述べている。

ニューヨークタイムズは「人間のうつは遺伝子と関連していること」や「恐怖と不安に関する生物学を解明しつつあること」、「うつ病の化学的な鍵が発見されたこと」を報じている。

1984年、バルチモア・イブニング・サンのジョン・フランクリンは、精神の修復者というタイトルでシリーズの記事を執筆、「精神医学の目覚ましい進展は歴史的快挙」と報じている。

フランクリンは、この画期的な精神医学のことを分子生物医学と表現し、「人口の20%が罹患している精神疾患を癒すことができる」と書いている。フランクリンの記事は、ジャーナリズム部門でピュリッツァー賞を受賞している。

こうして生物学的精神医学は精神分析や社会学的精神医学を葬り去り、精神医学の覇権を手に入れた。正しいものが勝つのではなく、勝ったものか正しいという言い回しの典型例である。

こうして精神医療への妄想が定着した

ヒポクラテスの時代、約2,500年前から謎だった精神障害の原因が、生物学的精神医学の手によって解明されつつある。1980年代半ば、アメリカ人の多くがそう信じるようになった。

精神障害は脳の神経伝達の問題であり、精神分析や社会的な関わりといった面倒くさいことをせずとも、治療薬を飲めば治る。テレビやラジオ、新聞、権威ある精神科医がそう言うのだ。

それを疑うことは簡単ではなかっただろう。

生物学的精神医学に対する一般人の信頼をさらに高めたのはこの書籍の影響が大きい。1984年、ナンシー・アンドレアセンは、”Broken Brain”(壊れた脳)という書籍を出版している。

「おもな精神病は疾患である。糖尿病や心疾患やがんと同じように、医学的な病気とみなすべきである。このモデルが強調するのは、内科医や神経科医と同じように、患者を苦しめる個々の特定の病気を注意深く診断することである」

アンドレアセンは、”Broken Brain”(壊れた脳)というタイトルがあくまでも比喩であり、精神病患者の脳が実際に壊れているわけではないことについて注意喚起しているが、その意味を読み取れた読者はそう多くなかっただろう。

2019年現在、うつ病、双極性障害、統合失調症、不安障害、発達障害、適応障害、ADHDなどDSMに掲載されている精神障害の生物学的原因は、一つも一度も見つかったことがない。

恐ろしいのは、生物学的原因が見つからないこと、今後も見つかる可能性が薄いことをアメリカ精神医学会は、それがあると喧伝したときと同じぐらい大声で公表していないことだろう。

結果、いまだに一般の人は精神障害が疾患であり、治療薬に効果があると信じている。生物学的精神医学を盲目的に採用してしまった日本でも、生物学的精神医学は常識と思われている。

30年で40倍!?日本の精神障害者数

以上のことは、精神医学の授業や教科書で語られることはない。精神障害が疾患であり、その原因は脳の化学物質にあり、治療薬の服用か効果的である、と一般人はもちろん、精神科医や臨床心理士などの専門家もそれを信じている。

そもそも精神的な異常と正常の境界線はどこにあるのだろうか。おそらくそれは時代や地域、文化、社会情勢によって簡単に揺れ動く。正常と異常を客観的に定義できない以上、治ったと判断する基準もあってないようなものだろう。

無数の研究が明らかにしているように、向精神薬治療を受けた患者の長期的転帰はよくない。社会適応度を回復の指標にした場合、治療を受けていない患者の方がはるかに回復度が高い。

あまりにも残酷過ぎるため公言する人は少ないが、DSM診断と向精神薬の登場以降、それを導入した国において精神障害は急増している。

例えば、1984年、日本の精神障害の患者数は推計で9万7千人だった。それが2014年になると約392万人、30年で40倍に増加している。

感染症でもない病気がここまで急に増えるものだろうか?精神障害が急増した時期や増加率は、精神科や心療内科の病院数の増加、向精神薬の売上の増加とあからさまに相関している。

治療するための施設や手段が増えれば、その対象である病気は減らなくてはおかしい。それがむしろ増えているのはいったいなぜだろう?

端的に言えば、DSM診断と向精神薬が精神障害を増やしているからだ。本来、治療や入院が必要だった患者はごく一握り、1984年の数字から考えて一割未満と考えるのが妥当だろう。

それ以外は、診断の緩和や向精神薬の副作用によって引き起こされた医原性の病気である。こういった告発は過去にも多数、行われている。しかし、それが明るみに出ることはまずない。

精神医療が謳っていることはよく言ってもデマかデタラメ、悪く言えば大規模な詐欺である。治療被害を受けて人生を台無しにされた患者や家族は、気が遠くなるほど膨大な数である。

精神医療が内部から変わることはないだろう。デタラメな診断、脳にダメージを与える向精神薬によって人生の時間を奪われるのはあなた自身である。よく考えて判断してもらいたい。

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